別唐晶司の作品について

実生活では、某病院の眼科部長、某大学臨床教授をつとめる作家・別唐晶司の作品を紹介するページ。
書いている田崎は(別唐氏の高校時代のクラスメートではあるが)作家本人と公式の関係はない一人のファンです(詳しくはこちらの日記をご覧ください)。


以下、作品に関するネタバレは基本的にありません。


別唐晶司作品庫


別唐晶司ブログ




螺旋の肖像

・・・僅かな時間ではあるが、かれは実験の手を休め、窓外に広がる風景に視線を漂わせていた。太陽光線を受けて銀色に輝くモノレールが視界を左から右へとゆっくりと通過していく。と、その時、かれの心中に奇妙な感慨とでも言うべきものが加速度的に浸食し始めた。切ないような悲しいような哀れなような虚しいような恐ろしいような取り留めもない感情が不規則なリズムで染みが広がっていくように拡散していった。それに続いて、今度は肉体的変調がじわりじわりと迫ってきた。胸が圧迫され、呼吸が苦しくなり、心臓は激しく鼓動して全身を震わした。かれはどう対処すべきか混乱していた。そのうち、思考速度が急激に落ちていき、意識も朦朧としてきた。腸管が激しく蠕動し、胃は痙攣している。消化管の中の内容物が塊となって逆流し口腔へと攻め押し寄せてくる。顔面に苦悶の表情が伝播していく。耐え切れなくなって一気に嘔吐する。・・・
別唐晶司のデビュー作。遺伝子操作など現代のバイオ技術をテーマにして、医学部の大学院に在学中の著者が力業で作り上げた物語=世界。


単行本にはなっていないので、「新潮」のバックナンバーを図書館などで借り出して読む必要がある。その際に、重要な注意があるので述べておこう。


これは「新潮新人賞発表」の特別号なので、p 6 に受賞者二人の顔写真(←別唐氏の知り合いなら楽しめるだろう)とコメントがあり、それに続いて選評がのっている。本人の写真とコメントは見てもいいが、左側の選評のページは絶対に見ないで、p 11 の本文に進むこと!


信じがたいことだが、作品よりも前に置いてあるこれら選評のなかには、作品に関する露骨なネタバレが含まれている(作品をどう評価しようと勝手だが、人が読む前にネタバレするか?? この選者たちは、(作品の理解力があるかどうかとかいうレベル以前に)ほんとうに読書が好きなのかどうかさえ疑われる)。


さらに、多くの選者は、この「ひどい話」を勝手にかつ無理に「普通の小説」だと誤解して、けっこう好き勝手な評を述べている。無理にそう思って読めばそういう感想がでてくるとは思うけど、それは違うような気がする。というわけで、これだけの誤解に囲まれながらも賞をとったという事実にかえって感心してしまう。




メタリック

 いや、正確にいうと、わたしが今こうして監視窓を通して見つめているかれとはかれの一部分であり、もっと正確に医学的にいうならば、わたしの視線の先にあるかれとはかれの大脳、小脳及び延髄である。眼球はなく、硬膜に覆われているため、いわゆる脳の皺を形成する大脳回及び大脳溝は明瞭ではない。全体はシリコン製の透明な人工頭蓋で覆われ、頭蓋内圧は生理的状態に保たれている。動脈系として左右の内頸動脈と椎骨動脈に、静脈系として左右の内頸静脈にそれぞれ MS コネクターを介してコラーゲンチューブが接続されている。・・・・
 おれがいる。
 水銀を一面に塗りたくられたような壁に囲まれておれがいる。床にはマイクロチップの回路のように細かい精緻な配線が眩暈を誘発せんばかりに描かれている。余分な突起や夾雑物は見当たらない。部屋の空気はやや希薄で室温は四度に保たれている。
 なんてメタリックな空間なんだ。
人間から摘出した脳だけを生存させるという「医療技術」を核にした SF 風味の長編の文学作品。


「わたし」と「おれ」の二つの一人称がそれぞれの「今」と「過去」を語る。合計で四つの視点が絡み合うことになるが、それを意識させず、かえって飽きさせずに、すらすらと物語として読ませる構成はうまい。とくに後半から終盤への展開はすばらしい。




ぼくが罪を忘れないうちに

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ヴァーチャファイターマニアクスというコンピューターゲームのマニア本に収録された短編。「メタテキストのようなものにしてほしい」という編集部の要望に応えたものだという。




眼球内空気充填術

  • 1996年「新潮」2月号掲載
 瞳が現れる。


 かれの右視野の真んなかに浮かんでいる。イチ・ニ、イチ・ニと頭のなかで、かれは正確にアンダンテのリズムを刻み始める。そのリズムに導かれるように、体がゼンマイ仕掛けの自動人形のように動きだす。そして、瞳を消すための空気充填術(エアータンポナーデ)が始まる。

視野のなかに「瞳」が現れる --- という、ある意味で、現代文学の王道を行くようなテーマなのだが、実は(以下略)。


様々な眼の状態や眼への施術の描写は眼科医である別唐の本領発揮。すさまじいリアリティがある。ぼくにとっては、きわめて印象が強く、記憶に残る作品。




あしたをはる

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  • HyperLink小説第1作
  • 2009年2月 初版UP

  • 2010年2月 HTML版UP
祇園祭の日の仮想現実の「ネオ京都」を舞台に、電脳世界で適当に生きている人々を描いたハイパーリンク小説。別にすべてのリンクを謹厳実直にたどらなくても小説は愉しめるが、時には、(人によっては)たどってみるとニヤリと喜べるようなリンクもはってある。やっぱり(2ちゃんねるとか)ネットを知っている人が読んだほうが面白いだろう(←というか、小説そのものがネット上にあるから、ほとんどの読者はネット愛好者だろうね)。


ぼくにとっては最初に接した別唐作品だったわけだが、彼の作品を時系列順に読んできた人は、ここに来て彼が一気に「ゆるみ」と「遊び」のある作品を書き出したことに驚くにちがいない。こういうのって、やっぱり現実の人生の余裕みたいなものが反映しているのだろうか? 読み終わったあとも、ある種の雰囲気が心に残る魅力的な作品だ。やっぱり文章うまいなあ。電脳世界の空気や人々の様子そして祭りの喧噪・狂騒の描写は生き生きとしていて、リアリティを感じる、じゃないな、ヴァーチュアルリアリティを感じる。